むかし話
いつの頃だかは忘れましたが、どこかのメジャーメーカーのお偉いさんが失敗を覚悟で実験的に立ち上げたプロジェクトがありました。
そのプロジェクトのコンセプトが、
“媒体の力を借りずに口コミだけでどこまでアイドルグループを育てられるか?”
というものでした。
その実験的グループは東京・原宿の有名ライブハウスを拠点として、夏休み期間を利用して毎日LIVEを行いました。
当初はお客さんが8人という日があったりと前途多難でした。
しかし、楽曲はすべて70年ソウル及び歌謡曲をカバー、LIVEの演出には超有名歌手のコンサートを手がける実力派の演出家を登用し、エンターテインメントとしては一流ものを作ったこともあり、日に日にお客さんは増えていきました。
そして、ある程度軌道に乗り、神奈川ローカルのテレビ局で番組をはじめたりしはじめた頃から、徐々にブレイクしはじめ、LIVEの箱もライブハウスから、ホールクラスへと移行。
楽曲もカバーからオリジナルへと、いろいろ変化しながら大きくなっていきました。
その間、グループメインのメンバーは7人固定だったのですが、その下にサブという形でいろいろなメンバー入れ替わりに入ってきたり、2軍やさらにその下の研修生メンバーがいたりと、グループのメンバーは徐々に増えいきました。(研修生の中には現在女優としてドラマ・CMに大活躍中のあの人が居たりしたんだけどねw)
そして、とうとう土曜日の夕方ではあったのですが、民放のレギュラー番組のメインを獲得し、その番組の主題歌を超超有名プロデューサーが手がけた頃、ついには伝説の武道館でのLIVEも敢行するなど、有名アイドルグループとしての栄華を極めました。
ただ、その後メインメンバーの一人が脱退、その後、また一人、また一人といなくなり、2軍からの昇格などしてなんとか延命をこころみるも、最後はプロジェクトチームの消滅によりグループも消滅してしまいました。
さて、なぜこんな昔話を書いたかというと、最近巷ので噂のKGBだか、PKOだか、AK47カラシニコフだか忘れましたがwを見たときにフッと上記のグループを思い出したんですよね。
その当時話題の場所だった“原宿”と現在話題“秋葉原”
小さい箱を使って毎日LIVE
ネームバリューのある制作者をつかった演出
等々
いくつかの共通点
これは偶然なのか?必然なのか?
それは多分製作者にしかわからないことだと思います。